top of page

​カウンセリング

 私たちは、皆それぞれ、何かしら悩みを抱えながら生きています。すぐに解決できるものもあれば、そうでないもの、人には理解されがたいものもありますね。一人で悩むというものは、どこかしんどいことであり、また行き詰まりやすいものであるとも思います。ここでは、そんな遣る瀬ないものたちを、お話をしながら、あるいは遊びながら、一緒に悩み、取り扱っていきたいと思います。

カウンセリング
フォーカシング

​フォーカシング

 フォーカシングとは、心理療法の一種です。私たちの心と身体は日々、様々なことを体験しており、私たちにとって必要かつ重要なメッセージを出してくれています。 それは時として「身体不調」としての肩こりや胃痛、身体の違和感として感じられるかもしれません。あるいは、「モヤモヤする気持ち」、「ズーンとする感じ」などの気分として感じられるかもしれません。これらの心身の不調や違和感に丁寧に目を向けていく方法です。

​へんなのヒストリー

 コロナの影響はカウンセリング場面にもありました。なんせ限られた空間で人と人が会うのですから。多くのカウンセリング機関はカウンセリングを中止せざるを得ませんでした。しかし、そうはいっても困っている人はいるし、そんな事態ですから尚更でした。そこで自分たちでカウンセリング施設を作ってしまおうということでできました。立案➡実行がこんなに早いことがないくらいの早さで出来上がりました。

 施設の名前はもともとは、何かがこの施設で育つような、息を吹き返すような、成長的な意味を込めたいということで、「芽吹き」とか「息吹」とかが挙がっていました。しかし、恩師に易を立ててもらうと、どうも画数等がよくない・・・。困った困ったと思っていた矢先、ふと「へんなの」いうワードを誰かが発したのか、私の中に浮かんできたのか、もしくは両方か。ひとまず、名前はそれと決まり、そこからはどういう漢字を当てたらいいだろうか・・・という話になり、易に基づいて「片治野」となりました。

 「へんなの」って言葉のニュアンス面白いと思いませんか?「あしたは、へんなのに行く日ね。」とか「へんなの行ってくる。」とか「いうこと聞かないなら、へんなの行かせませんよ。」とか普通の会話でもどこかフワフワしているニュアンスが入ってくるのに、怒っている時でさえ、やりとりがどこかフワフワとして面白おかしくなりそうですよね。

 片方だけ治ると書いて、へんなの。治るとしても、半分だけ。というか「治す」という言葉自体、合っているのかどうかと思っていますがね。まぁ、なにはともあれ、お試しあれ。

                                                   ​文責:舎川 優悟

ヒストリー
bottom of page